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日記のページをめくる

2007年9月8日


”ヴィオラ満チル月”を流しているうちにペンが動き始めた。
最初に書いたうたは別れのうただった。 25歳くらいの頃。
あの頃すでに別れさせられる感情を知っていたことになる。
知らなければ歌えない。
歌とはそういうもの。

そして自分の記憶の階段を下へ下へと下りてゆくと、ついに
3歳の頃の別れが見えてきた。


ぼくが生まれた1944年というのは終戦1年前で、
母の故郷の信州岡谷にそかいした。
母はなぜか家をあけることがあって、大抵は祖母に
寝かしつけられていた。
ある日、ある晩、帰ってくるといって出かけた母が
夜の晩ゴハンが終わってももどってこない。
おしっこがしたくて目をさましたボクは母が居ないことに気づいた。
だが幼かったボクはスヤスヤねむってしまった。
真夜中に小ちゃな胸の中で、母を発見しに出かけようと
思ったボクは、祖母がねむるのを確かめて、
そっと起きて、足音をしのばせ、そっと起きて、足音をしのばせ、気づかれないように
注意を払って真っ暗い夜の道へ出た。
靴ははかなかった。
というよりクツなどないあの時代のことだ。
成田ヒロシが描くような淋しい街燈のあかりがポツンポツンと
光っているだけの暗い夜の道をはだしで歩いた。
祖母のイエに引っ越してくる前に、ちょっとの期間仮住まいをしていた
”カイトーカン”と言うアパートへ最初に行ってみたが
真っ暗で母はいなかった。

じゃあ、あそこかもしれない。
そうだ、きっとそうだ。
と再び気をとりもどし、岡谷駅そばにある
岡谷文化服装学院(名前はたいそうだが、個人の家で洋裁を教えていた所)
へと向かった。
母とフジサワさんは大の仲よしだった。
玄関の前まで来た。
家の中から笑い声がきこえた。
母の声とフジサワさんの声だった・
いたー!ここにいたのかー!発見!
ボクは玄関をあけていった。

「おかあちゃーん!」

すると奥から二人がドタドタ慌てて出てきて
母は
「マサト、マサト、おー、マサト」といって
胸にボクをギューッと抱きしめ、フジサワさんは
”ババサは、どーした?!
 ババサはどーした?!”
とまくしたてていた。(ババサとはおばーちゃん)
あとは記憶にない。安心してねむったんだろう。

別れる。離ればなれになる。
どうしようもない感情。
ボクら人間は、諸行無常をくりかえしくりかえし、体験し続ける。
そして残るものは深く残る。
それを時たまそっと聴いてみるのもわるくはない。
彼の話はボクの話でもある。

それにしても暑い夏だった。


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