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2007年2月22日 「稲生座のシバタが旅立つ」
タイマで、タイまで行けなかった、その喪が漸くあけなんとしていた
時に悲しい訃報が飛び込んで来た。稲生座の、そしてリバーBAND時代
の愛すべき柴田が他界した。言葉を失くした。うすうすは感じていた。
受け入れ難き事実に、又も、押しつぶされてしまった。
気を紛らす為に、そしてその場に参列できなかった人のためにペンを
とってみた。
通夜は高円寺にある長龍寺でしめやかに執り行われた。
たっちゃんの運転する車に、長野からすっ飛んで来たテズカ、研子とし
んちゃんと乗り込み、環七を高円寺へと向かった。
喪主となって黒い服などまさかこんなに突然に着ることになろうとは
思いもよらなかったエミちゃんが、心細げに立っていた。そして研子の
姿を見るなり、抱きついてきて堰をきったように大声で泣きはじめた。
「いいのよ、泣きなさい、辛かったでしょう、泣いていいのよ」
という研子の声がきこえてきた。(あー、女と女だ。)
何もしていないのに男の僕は後ずさりした気分になった。
きれいな花々に飾られた祭壇の中央にはポツリヒロシの遺影がさみしげ
にあった。
棺の上部が開かれ、そこに静かに眠っている顔が見えた。
吹き上がってくる想いは涙という形をとって流れおちた。
研子はかがみ込み、棺をを抱き
「バカよ、バカ!なんで死んじゃったのヨ!バカ!バカ!バカ!ううっ・・・」
あとは言葉にならなかった。
初めてお会いしたヒロシのお母さんの哀しみは母の哀しみそのもので、
僕などは百歩も後ずさりしたまま身動きができずに硬まってしまった。
お母さんは僕の死んだオフクロに似ていた。
僕は理由を小さく伝え、渋谷のアピアのライブ場へ行こうと一人そっと
席を抜けた。
仕方がない。ライブはもう決まっていた事なのだ。
訃報をきいた友人たちがゾクゾクと集まってきているなかを後髪ひかれ
る想いで渋谷へ走った。僕はヒロシと最初に出会ったその店に今まさに向
かっていることに気づいた。
当時、彼は酒は一滴も飲めなかったなんて、誰も信じないだろうな。
シバタとエミちゃんの仲人をやったことを思い出した。
柴田のことはまったく知らないライブをききに来たお客さんと向き合った
まま何をどうしたらよいのか、困惑のまま船を出した。
やがてライブは終わり、自然にみんな稲生座へ向かうことになった。
あの建物の階段を昇った所から店までの通路は人だらけで、もうみんな
ベロベロに酔っ払っていたが、なぜか、ケンカはさすがになかった。それ
ぞれが、ヒロシと酒を飲み交わしているようだった。
(あー、男と男だ。)
やっとこさっとこ店内へ入れてもらいカウンターでレイチェルに合図した。
通夜には270人以上集まったと聞いた。
誰かからビールがまわってきたのでヒロシのために!とゴクリとのんだ。
ボチボチと帰途につくもの、仕事を終えてやってくるもの、歌っているもの、
泣いているもの、今宵の稲生丸の甲板はキャプテンを失い、行き場のない
思いで酒をつぎ交わす水夫たちであふれかえっていた。
翌日、今日。
告別式。空は青く、暖かな明るい太陽。
無表情な事務的な葬儀の進行に、誰かが文句を言った。だがエミちゃんの
挨拶の言葉が皆の心をなごませた。
最後に祭壇から霊柩車までの道のりを、(さほどのキョリではないが)両側
に分かれて棺をみんなで手移しで運んだのだ。
ゆっくりと、静かに、いっぱいの感謝と愛で手移ししていった。
棺があんな風に大勢の手で運ばれるなんて僕は知らない。民にしたわれ
愛された王様の静寂の胴上げかと思った。
ここに柴田廣志君は幸せな移行を終えたことを報告します。
合掌 2007年2月22日、晴。
