日記のページをめくる

2005年4月21日 「骨壷と花瓶と高田渡」
高田渡の訃報を聞いた夜、彼との色々な出来事やら景色が浮かんだ。
まだ俺たちが二十代の頃の話だが、あるときURCからアルバムを作ってほしいと頼まれた。
片面を俺、そして片面を高田渡と言う話だったが、アルバムは一人で作りたかった。A面、B面
たっぷり時間をとってみたいという思いがあった。
ということで俺は企画の申し出を受けなかった。
今だから思うけどあの時、一緒に二人で作っていたら俺の方はどうなっていたんだろう。
当然、そうなったら「回帰線」は産まれていなかっただろうし‥。
1987年、俺が43歳の冬ツアーの最中に、山口で血を吐き「ああもうこの世とはおさらばだ。」
と思いながら気を失ったが、死なずに済んだ事がある。山口の日赤病院でのびている俺を
訪ねて高田渡がやって来た。ひとっきら冗談を言ってその後、空いてるベッドで渡は寝てしま
った。そして帰りしな骨壷をひとつ置いて帰った。とんでもねえ野郎だと思ったが、これが渡
なんだと思った。いつか俺も骨壷をと思っていたが、今となってはもうそのチャンスも無くな
った。そして、実は骨壷と言っていたが、よく見るとそれは花瓶であった。
アディオス、渡!